30歳からのカナダ・ハワイ留学

会社を辞めて留学した、渡辺真由子の日々。

広告のカラクリ


サンフランシスコのビーチ


ほぼ全裸の女性がニッコリ笑って立っている写真を、教室のスクリーンが映し出す。写真は広告だが、何を売ろうとしているのか一目ではわからない。彼女のかろうじて一部が隠されているだけの体から手元へと目をやると、酒瓶を持っている。どうやら酒の広告らしい。しかし女性がほぼ全裸なのとはどう関係があるのか。教授が生徒たちに尋ねる。「なぜ女性の体がこんな風に使われているのだと思う?」。
 これは、私が学んでいる広告分析の授業だ。メディア・リテラシー教育が盛んなカナダでは、広告は最も身近かつ社会的影響力が大きいメディアとして、頻繁に題材に取り上げられている。中でも広告で描かれる女性像と男性像に関する研究は、日本の広告にもそのまま当てはまるのでご紹介しよう。この描かれ方には以下のような傾向があるとされる。①女性は家事をし、男性は外で働いている ②高級な買い物(家や車など)の決定権は男性が持つ ③男性は女性に頼られる ④女性は性的な対象である ―ほら、あなたも身の回りの広告で思い当たるフシがあるでしょう。商品と無関係に女性の体を使う冒頭のような広告はもちろん④である。今回はこの、女性を性的な対象として描く手法に注目してみたい。裏を読み解くと結構なクセモノなのだ。
 例えばあまりにも身近なダイエットの広告。スリムでナイスバディなお姉さんたちが、「痩せて自信がついた」「彼氏が出来た」などと声高に主張していますね。これは、太目の女性に対して「あなたは自信を持つべきではない」「男性に愛されるはずはない」と言っているのと同じだ。また、この季節に大量に見かけるムダ毛のお手入れや制汗スプレーの広告。毛や臭いがあったらオンナじゃない、とばかりに世の女性たちに迫ってくる。これらの広告は繰り返し訴えかけることで、均整のとれたプロポーション、すべすべ肌、無臭といった女性像が“標準”であると思い込ませ、そこから外れた女性たちの不安を煽り立てるのだ。その結果、女性が無理なムダ毛処理で肌を痛めたり、摂食障害にすら陥ったりする深刻な事態が起きている。一方、こうした広告で男性向けというのはほとんどない。男性にも太目の人はたくさんいるし、ムダ毛の量や汗の臭いに至っては女性を上回っているにも関わらず、だ。なぜ女性ばかりがターゲットにされるのだろうか? 専門家は広告が“男性の視点”で作られているためと指摘する。つまり、男性の目から見たセクシーな理想的女性像に近づくよう、広告が女性たちを誘導しているのだ。なんと、こうして女性をコントロールすることで、男性が女性を支配する家父長制社会の維持につなげているという。ちょっと、コワいではないか。
 その表現の一部を掘り下げるだけでも、広告の背後には複雑な思惑が潜んでいるのだ。あなたも今日から広告を「あんたの狙い通りには流されないもんね、へへん」という目で見てみよう。ウロコが落ちるかもしれません。